三月生まれの生存戦略

Twitterで言えないこと書きます。3月生まれで苦しむ子羊たちの先導者になります。

書評 「ゆたかな社会」ガルブレイス

 

本書は約70年前に出版された。しかし、この本で提唱される問題意識は現代と大差ない。いや、変わっていないというべきであろう。それはこのテーマが人類の、社会の、ある種永劫回帰てきな不変なるテーマであるからだ。

ガルブレイスは本書の一番初めに「この本は長生きしない」と述べている。

 

 

 

通念という言葉

通念(conventional wisdom)という言葉はこの本で生まれた。人々に受け入れられる観念は大きな安定性、親しみやすさが必要であるこれが通念というものだ。

 

社会問題という人間にとってぜいたくな問題は近づきにくく、あることないことの区別は難しい。そのため、人はかなりの範囲内で好きなように考えて、この世界に対して勝手な見解を持つことが許される。

 

その結果、社会生活の解釈について正しいこと、単に人から受け入れられるにすぎないこととの間の争いが尽きない。この争いは、終局的には実存の側に分があるのだが、かけひきの上では人の気に入る議論が有利である。聴衆は一番好きなものに拍手する。

 

議論が正しいかどうかよりも、聴衆の賛成を得られるかどうかということがよほど論者を左右する。

 

(これはツイッターをやってればいやというほど見てきた景色ではないだろうか)

 

経済・社会の動きは複雑でその特性を理解するのは大変なことである。したがって。われわれは溺れそうな人が"いかだ”にしがみつくように、最も理解しやすい観念にしがみつく。

 

通念というものはイデオロギーとは何らかかわりないものである。リベラルや保守とみなされる人との間にそれほど大きな差はない。しかし、ある種の問題については聴衆の好みに合致するように調整される。

 

通念の敵は観念ではなく事実の進行である。通念は世界を解釈するためのものであるはずなのに、聴衆の世界観に適応するためのものになっている。

世界は変化するのに大衆は安易でなれたものに執着するので通念はいつも陳腐化する危険にさらされている。

陳腐化した通念を明瞭に適用できないような事実の進行が、通念を致命的させるのだ。

 

 

通念の例として国家の均衡予算があげられる。均衡予算は政府財政の健全で上手な運営にとって必要条件とされてきた。この規則をやぶると長期的にはいつも不幸な結果に終わったし、短期的にも不幸なことがよくおこった。昔は、歳入の不足分を補うために貨幣の端を削り取ったり、変造したりして、節約された金属を貨幣として使うのが国家の常套手段だった。その結果はいつも物価騰貴と国の威信の低下だった。近代では貨幣の発行や銀行からの政府借り上げが同じ結果をもたらした。したがって、通念は毎年の均衡予算の重要性を非常に強調したのである。

しかしその間に現実は次第に変化してきた。均衡予算を要求する規則は、財政について本質的にまたは反復的に無責任な政府のために考えられたものである。前世紀までの政府はどれもこうした種類の政府であった。その後、アメリカでも、イギリスでも、英連邦でも、ヨーロッパでも、どこの政府もその活動の財政的な影響を考慮するようになった。均衡予算という専横な規則を守ってさえいれば安全だということにはならなくなってきた。また同じころ、本当に破壊的な不況という現象が現れた。このような不況の時には、人々も、工場も、原料も、大量の失業となるので、赤字財政による追加支出から生まれる追加需要は必ずしも物価騰貴をもたらすとはかぎらない。むしろ失業した人や工場を動かすことになる。物価上昇よりも生産拡大の効果のほうが大きい。しかも、物価騰貴が起こったとしても、それは不幸であるどころか、以前の苦しい物価下落の埋め合わせなのである。通念は相変わらず均衡予算を強調していた。この規則が守られなった場合に災難が起こるだろうという警告に対して、大衆は相変わらず耳を傾けていた。そこへ大不況が起こって事態は一変した。アメリカでは、大不況の結果、連邦政府の歳入はひどく減少し、またいろいろ福祉的支出や失業救済のための支出に対する圧力が強くなった。そういうときの均衡予算は、税率を高くし、歳出を減らすことを意味する。あとから考えると、モノに対する官民の需要を減らし、不況を悪化させ、失業を増大させ、大衆の苦しみを一層ひどくする方策として均衡予算ほど有効なものはなかったであろう。それにもかかわらず、通念に従えば均衡予算は最高の重要性をもつものであった。フーヴァー大統領は1930年代のはじめに、均衡予算は絶対の必要であり経済の回復にとって最も必要な要因であり緊要な措置であり不可欠であり国にとって第一に必要なことであり政府および民間の財政的安定の基礎であるといった。不況の助言を求められた人はほとんどだれでも通念に強要され事態を悪化させる提案を行った。この点では保守主義者も自由主義者も同じだった。ローズヴェルトが1931年に選挙されたときも均衡予算を強く約束していた。ローズヴェルト政府の初期の施策の一つは、公務員の給料の一律引き下げを含む節約の努力だった。

通念に対する状況の勝利は既定の事実だった。フーヴァー政府の第二年目には、予算は回復しがたいまでに赤字だった。1932年に終る会計年度には、歳入は歳出の半分にも達しなかった。不況期を通じて予算が均衡したことはなかった。しかし赤字財政の必要と利点が観念の分野で勝利を収めたのは、やっと1936年のことである。この年にケインズは「雇用・利子・貨幣の一般理論」において正式の攻撃を行った。均衡の予算の通念は退却することとなった。

 

まあ、その後、復活するが。

 

通念ーすなわち人々に受け入れられるということを基礎にした観念の体系ーや通念を明確化した人たちに言及することが今後しばしばあると思う。