巨匠高畑勲の遺作。
水彩画のようなアニメーションというのはとんでもない労力だろう。
今後二度と現れる気はしない。
芸術作品として素晴らしいものであった。
さて本編。
実のところ一回見た程度ではよくわからなかった。
この作品の根幹をなすのは次の台詞であろう。
「生きている手応えがあればきっと幸せになれた」
生きている手応えとはなんだろうか。
純粋に見れば山での暮らし、つまり、自然という生の総体に触れその中で生きるものとしての殺生を行い(キジ鍋をつくるように)他の人間たちとの活動に参加して暮らしていくことだ。
それは現代から見れば過酷で不自由なモノだろう。
だが死にたくなる生き方ではないだろう。
姫はその生き方を選ぶことはできなかった。
高貴な姫としての生き方となる。それは「生きている手応え」ではなかった。
子供の時の山での暮らしと都での姫としての暮らしの対比。
翁にとっては姫の幸せが「生きている手応え」であったし、その幸せは翁にとっての理想を押し付けたものに過ぎなかったが、しかし、姫とて翁の幸せは願うものであった。
その部分の葛藤は上手く丁寧に表現されている。
不自由のない暮らしのはずが、姫にとっては違ったものだった。