三月生まれの生存戦略

Twitterで言えないこと書きます。3月生まれで苦しむ子羊たちの先導者になります。

人々はなぜトイレットペーパーを買い占めるのか

コロナウィルスの影響により様々な情報が飛び交い社会を混乱の渦へと引きずり込んでいる。

情報化されたこの社会、情報リテラシーを確かめられている中で、デマとどう向き合うべきか考えていく必要がある。

 

そしてまた一つのデマが混沌を生み出してしまった。

 

「トイレットペーパーの製造元は中国なので市場からなくなる」という発言により、デマに踊り踊らされて本当に短期的にスーパー、ドラッグストアからなくなってしまった。

 

なぜ人々はトイレットペーパーを買い占めるのか?この議題を考えていこう。

 

買い占める理由

私はトイレットペーパーを買い占める理由を5つ挙げ分析した

 

  1. デマに乗せられて購入
  2. 転売目的で購入
  3. デマに乗せられてる奴もしくは転売屋が買い占めるかもしれないから購入
  4. お祭り騒ぎに便乗して購入
  5. 無くなったので純粋な動機で購入

 

1は説明するまでもない。デマを信じきり購入したのだろう。

 

2はそもそもデマを流した奴が転売屋であるし、売り切れが起きている今なら転売の投機対象であるのでこの買い占め現象に拍車をかける。しかしトイレットペーパーはマスクと違いサイズが大きいため、在庫管理、送料負担が大きくなるので転売屋としては不適切だろう。

 

3 ここが一番重要。てかここ説明したいからこの記事書いてるまでもある。

今回の買い占め騒動は、「デマが発端であること」を理解できていた人の方が大半ではないだろうか。しかし、自分ではデマであるとわかっていても、相手がデマだと気づいていないケースを殆どの人間は想定するし、それを前提として購入行動をしてしまいがち。

 

人々の合理的判断が結果的に非効率的な状況を生み出す。

このような現象を説明するのには「ゲーム理論」が最適だろう。

ゲーム理論とは経済学用語で、相互依存の状況での行動の分析に特化したミクロの分野である。いや、マクロでも用いられるか。

ビューティフル・マインド』という映画はご存知だろうか?

ゲーム理論を生み出した一人の数学者ジョン・ナッシュの伝記である。

アカデミー作品賞も取っていた気が。

 

 

ゲーム理論の有名な例えとして「囚人のジレンマ」がある。

囚人のジレンマとは二人の共犯者の作り話だ。

二人の囚人をテルマとルイーズと呼ぼう。

二人は警察に捕まった。

警察は二人に5年間は刑務所暮らしをさせるのに十分な証拠をもっている。

また警察は、二人が20年間は刑務所暮らしをさせるほどの犯罪に手を染めていることも確信しているが、それを有罪に持って行けるほどの証拠はない。

そのため、警察はそれぞれの囚人にもう一人が二つ目の重大な犯罪に関わっていることを仄めかしてもらう必要がある。

こうして警察は二人を別々の取調室に閉じ込め、次のように言った。

「取引しよう。もし二人とも自白しなければともに5年間の刑務所暮らしだ。

もしお前が自白して、相手が自白しなかったらお前の刑期は2年間に短縮される。だが、仲間が自白してお前が自白しなかったらお前は20年間刑務所暮らしだ。そして両方が自白したら刑期はともに15年だ」

囚人の利得は、自白か黙秘かという各囚人の判断によって決まる。

囚人は互いに連絡を取る手段はなく、互いに中傷しないといった類の契約もない。

だから、各囚人は自分の利害だけを踏まえて行動する。

二人はどうするのだろうか?

 

答えは明らかで、二人とも自白することになるのだ。

彼らはこう考えるだろう。

相手が自白せず自分が自白すれば2年間に短縮できる。

もし相手が自白しても自分も自白しているので20年間から15年間に短縮できる。

他のプレーヤーがどんな選択をしようが、ある行動を取るのがそのプレーヤーの最適な行動であるとき、その行動は支配戦略になる。

 

こうして囚人たちが自分の利害に従い合理的に行動すると二人とも自白することになるのだ。

 

二人とも黙秘でいれば、5年間で済んだのに。

 

自白という選択は均衡にたどり着いている

均衡とは、どの個人も企業も行動を変えるインセンティブを持たない結果のことだ。

ゲーム理論では「ナッシュ均衡」と呼ばれている

他のプレーヤーが選択する行動を所与として各プレーヤーが利得を最大化するように行動を選択した時の結果である。

この「囚人のジレンマ」に今回の件は当てはまるだろうか。

部分的に見れば当てはまるだろう。

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4 お祭り騒ぎというのは、今回のような買い占め騒動に「社会参加の手段」として便乗しているということ。

周りの人間と同じ行動をすることで安心感が得られるという

 

特に現代社会での孤独感というのは多くの人が感じているのではないのか?

核家族化、一人暮らし、高齢化社会の高齢者たちにとって、こういう騒動に乗っかり社会の一員であるというポジションを得ることは大衆心理の精神的、社会的な側面から考えていかねばならない。

 

ネット社会でも炎上文化に乗っかる人たちにも同じことが言えるだろう。

別にファンでもアンチでもないが炎上して注目の的になっているとこに、「正義」という建前の元、人をぶん殴れるのは快感であり、これも社会参加の一つの手段。

大多数の中にいることが安全なのだろう。

 

そして、今回の買い占め騒動を「バカな奴ら」と冷笑し、このブログみたいなことしてるやつもまた、

転売サイトで、最高金額に設定し、「買い占め止めよう」という画像を貼り付け、コメント欄で説教するというのも同じこと。

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デマに乗っかるやつと、デマに対して正義感の元に潰していく人らも、僕から見たら二律背反であり同じ人間なのだなあと。

 

いや、社会的コスト等を考えるとデマ潰す方が世の中のためにはなっていると思いますがね。

 

しかし、振る舞い方を間違えますと悪い方向になりかねないだろうな・・・

 

この辺うまく言語化できない。。。

 

5 説明するまでもない。明日けつ拭く紙なければ必死になるでしょ?

 

 

 

終わり