三月生まれの生存戦略

Twitterで言えないこと書きます。3月生まれで苦しむ子羊たちの先導者になります。

今後について

ぜ前回の記事と少しつながります。

 

 

odamakidan.hateblo.jp

 

 

 

SIRモデルとは

宿主集団を未感染の感受性固体(S)感染個体(I)回復個体(R)をグループ分けしその数の変化を微分方程式で表すコンパートメントモデルである。

 

感染個体が回復しても感受性固体に戻る場合をSISモデル、回復すると免疫を獲得し二度と感染しなくなる場合をSIRモデル、これに潜伏期間を考慮したモデルをSEIRモデルと呼ぶ。

 

宿主の集団を3つのグループ,感受性個体(susceptible, S),感染個体(infected and infectious, I),回復して免疫をもつ個体(recovered, R)に分ける.毒性の強い伝染病の場合は,感染によって宿主が死亡することもある.この場合グループRに病気によって死亡した個体も含める.それぞれのグループに属する個体の数も同じ記号(S,I,R)で表す.単位時間あたりにSからIに状態遷移する個体の数は,感受性個体の数と感染個体の積に比例するとして,βSI,IからRに遷移する個体の数をγIとする(図4. 1).ここでβは感染率,γは回復率(あるいは病気による死亡率) を表す.このとき感受性の個体の数S,感染個体の数I,回復個体の数Rは以下の微分方程式にしたがって時間変化する.dSdt=−βSIdIdt=βSI−γIdRdt=γI(4. 1)これがSIRモデルと呼ばれる伝染病流行の基本モデルである

 

 

 R_{0}=\dfrac {βN}{γ}

 

R₀が1をこえたとき、感染者は感染サイクルごとに拡大再生産されるから感染者数は増加し、1を下回れば流行は収まる。

 

 

ワクチンに期待しても意味ない?

 

 

 

 

ポリオウイルスの例を見てみよう

 

ポリオとはWHOが指定した伝染病根絶のターゲットである。先進国では生ワクチン(ポリオウイルスが弱毒化したもの)の接種によって制圧できた。今、自然観戦している地域はアフリカや西アジアの一部でみられる。

 

ポリオウィルスはコロナウイルスと同じく突然変異率の高いRNAウイルスではあるが、インフルやエイズで問題になる抗原のエスケープはあまり起きない。しかしながら、弱毒化したワクチン株は強毒変異する可能性がある。

この強毒変異の可能性は低くなく、数人に一人の割合でみられるがポリオの大流行が起きないのは集団のほとんど全員がワクチンで免疫を持っているからである。

 

ワクチン接種を徹底させ自然感染を0に抑え込もうとしてもその過程での強毒復帰の再流行は消しきれない。

生ワクチン株は弱毒化されているとはいえ弱いながらも感染力はある、サイレントサーキュレーションが起きるのである。

ワクチン接種を完全停止してもウィルス保持者の割合の減少は長い期間を待つ必要がある。

だが、ポリオワクチンには生ワクチンのほかに不活ワクチンがあり、これはいきたウィルスではないので強毒株復帰のリスクはない。しかし、生ワクチンよりも免疫力を高める効果はないし、生ワクチンから不活ワクチンへの切り替える段階で強毒株復帰流行のリスクはある。

 

 

コロナと経済成長

 

憂鬱なタイトルだがそうとしか言いようがない。感染症との闘いでよく言われるのが経済と感染防止のトレードオフだ。感染者がいくら増えようがもう自粛要請などは出す気はないだろう。

 

個人的には「新しい生活様式」だとか「withコロナ」などの言葉はきらいだ。キモさがある。

 

 

 

そもそも、感染症の流行前からこの国は経済など見捨てていただろう。人命よりも経済を優先する国が消費増税などやらないだろう。GDPの6割を個人消費が占めるこの国で。

 

そもそもこの国は30年間、経済は停滞したままである。

 

 

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(画像は政府統計の総合窓口から作成)

(ネットから拾って来ようと思ったけどやめた)

 

GDPがほぼまっすぐなのがわかる。

 

成長率2%の目標すら達成できていない。

 

GDP三面等価の原則から生産=消費=所得が成り立つ。事後的に見ればの話しだが。

 

つまり、マクロ的に言えば、30年間、所得も消費も生産も変わっていないのだ。

 

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(一応折れ線グラフも)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高度経済成長は何処へ

高度経済成長はなぜ起きたのか理論ベースで説明するならレギュラシオン理論が最適であろう。

 

 

経済社会に対するレギュラシオン理論の基礎的な見方は「レギュラシオン」(調整)の語に要約されている.すなわち,資本主義や市場経済は本質的に安定しているわけでもなく(新古典派批判),逆に本質的に崩壊の危機にあるのでもなく(マルクス派批判),それがうまく調整されれば安定・成長し,そうでなければ危機に陥ると見るのがレギュラシオンの見方である.資本主義は大いなる変化と革新をもたらす原動力であるが,しかしその変化をコントロールする力は資本主義自体のうちには備わっておらず,しばしば暴走し社会を危機的状況に陥れる.それゆえ経済社会の安定・成長のためには,資本主義は社会や諸制度の側から調整されなければならない.このように市場経済の自己均衡化論でもなく,資本主義の自動崩壊論でもなく,レギュラシオン理論は資本主義の社会的調整という基礎視角に立つ

MLA (Modern Language Assoc.)
進化経済学会. 進化経済学ハンドブック : Handbook of Evolutionary Economics. Vol. 初版, 共立出版, 2006.

APA (American Psychological Assoc.)
進化経済学会. (2006). 進化経済学ハンドブック : Handbook of evolutionary economics: Vol. 初版. 共立出版.

 

 

レギュラシオン理論は、高度経済成長期が終了しスタグフレーションが発生した1970年ごろ生まれた理論である。

 

高度経済成長がなぜ可能であったのかの答えは「フォーディズムの成長と危機」の一言である。

 

フォーディズム論の要点は,市場経済の自然的結果や国家の経済的介入の成果としてでなく,戦後的な新しい蓄積体制と調整様式の形成の結果として,またその背後にある新しい制度諸形態(とりわけ賃労働関係における団体交渉制度など)の成立の結果として,戦後的成長を捉える点にある.すなわち戦後先進諸国には,生産性上昇が賃金上昇に連動し,それが消費と投資を刺激して総需要成長(経済成長)を喚起し,また投資や経済成長それ自身が再び生産性上昇を生み出すというようなマクロ経済的回路(蓄積体制)が成立した.あるいは生産性上昇と経済成長の間に累積的因果連関が形成されて高度成長が実現した.そして他の歴史的時代と異なって,この蓄積体制に特徴的かつ核心的な経路は「生産性上昇→賃金上昇」と「需要成長→生産性上昇」である

MLA (Modern Language Assoc.)
進化経済学会. 進化経済学ハンドブック : Handbook of Evolutionary Economics. Vol. 初版, 共立出版, 2006.

APA (American Psychological Assoc.)
進化経済学会. (2006). 進化経済学ハンドブック : Handbook of evolutionary economics: Vol. 初版. 共立出版.

 

 

フォーディズム - Fordism - JapaneseClass.jp

 

 前者の背後には経営者による「生産性インデックス賃金」の提供という新しい賃金原則があり,また後者は量産効果を意味するが,それは労働者による「テーラー主義」的労働の受容に支えられていた.賃金は競争的・市場的賃金から契約的・制度的賃金となり,これに応じてそれまで労働側によって拒否されていたテーラー主義が広く各部門に浸透していった.戦後期,「団体交渉」という新しい制度が形成され,これを媒介として労使間に「生産性インデックス賃金 対 テーラー主義」という取引(妥協)が成立し,それがゲームのルールとなって,かの蓄積体制を先導し調整したのであった.要するに,生産性インデックス賃金 対 テーラー主義という労使妥協によって調整された大量生産–大量消費(生産性上昇と需要成長)の蓄積体制,これがフォーディズムであり,戦後的成長の秘密であり構図であった

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進化経済学会. 進化経済学ハンドブック : Handbook of Evolutionary Economics. Vol. 初版, 共立出版, 2006.

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進化経済学会. (2006). 進化経済学ハンドブック : Handbook of evolutionary economics: Vol. 初版. 共立出版.



フォーディズムは1960年代末ないし1970年代以降,危機に陥る.フォーディズムの蓄積体制も調整様式もともども麻痺し,大危機(構造的危機)に陥った.すなわち,テーラー原理の追求による労働の単純化・単調化は労働者の病気や反抗をもたらし,工業化や完全雇用政策の成功による都市化や完全雇用は「賃金爆発」をもたらし,かの労使妥協を崩壊させ,またマクロ的好循環の構図を瓦解させたのであった.つまりフォーディズムは,その成功ゆえに危機に陥ったのであり,その現れが1970年代の激動であった.オイル・ショックはこの危機を倍加させはしたが,危機の真因ではなく,真因はもっと深くフォーディズム的な生産性や分配・需要の体制の枯渇のうちに存在した.危機のなか1970~80年代には,フォーディズム以後をめぐる各種の試みが世界で展開された.そのなかでこの時代,スウェーデン・モデルや日本モデルの目覚しい躍進とアメリカ経済の凋落が世間の注目を浴びた.これを分析すべくレギュラシオン理論は,ボルボイズム(社会民主主義型),トヨティズム(企業主導型),ネオ・フォーディズム(市場主導型)といったように,アフター・フォーディズムにおける「国民的軌道の分岐」に注目することになった

MLA (Modern Language Assoc.)
進化経済学会. 進化経済学ハンドブック : Handbook of Evolutionary Economics. Vol. 初版, 共立出版, 2006.

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進化経済学会. (2006). 進化経済学ハンドブック : Handbook of evolutionary economics: Vol. 初版. 共立出版.

 

やがて1990年代になると,日本(および一時的ながらスウェーデン)はバブル崩壊で停滞する一方,アメリカは「ニュー・エコノミー」的な復活をとげた.復活したアメリカ経済は,しかしもはやフォーディズム的工業のアメリカでなく,ITと金融を中心としてグローバリゼーションを推進するアメリカであった.1990年代の世界は,1950~60年代からは明らかに歴史の舞台が一回転し,新しい歴史的時代への突入を感じさせるものであった.レギュラシオン理論にとって,これは「フォーディズム」と「賃労働関係」を事実上の中心に置いてきた従来の方法視点の再検討を迫るものであった.ここにおいてレギュラシオン理論は「制度階層性とその逆転」という認識に到達する.すなわち戦後期にあっては労使を中心とする国民的妥協こそが最も重要な制度領域をなし,これに規定されて競争形態(寡占競争)や国家形態(ケインズ=ベバリッジ型国家)が制度化され,さらにそれらに適合した国際体制(IMF/GATT体制)が形成された.賃労働関係が制度階層性の頂点をなしていたわけである.これに対して1990年代以降は,世界マネーフロー(株主価値)という形をとる国際金融体制が制度的頂点をなし,これに規定されて国家形態(小さな政府,福祉削減)や賃労働関係(労働のフレキシブル化)が成型されるようになった.階層的上位の制度は賃労働関係から国際金融体制へと逆転したのである.したがって1990年代以降の経済分析においては,国際体制や金融体制にこそ最初の焦点を当てなければならない.こうしてグローバリズムを先導するアメリカ経済が,「金融主導型成長体制」(ボワイエ)ないし「資産的成長体制」(アグリエッタ)として分析される.レギュラシオン理論の手法に従うならば,その蓄積体制(成長体制)と調整様式が確定されるべきである.蓄積体制としては,株価→金融収益→消費および株価→投資という回路を通って総需要が刺激され,それが企業利潤を拡大し,そして高い利潤期待が再び株価を押し上げるという構図が摘出されている.いまや生産性上昇に代わって株価上昇が起動力をなし,これが最終的に経済成長につながるという経済である.これを支える調整様式とは,要するに株価上昇を高い金融収益へと連動させる制度装置であり,世に「コーポレート・ガバナンス」と呼ばれるものがそれである.こうした金融主導型経済の可能性と現実性はしかしアメリカ(せいぜいイギリス)にしかなく,他のOECD諸国には成立しがたいことも指摘されている

MLA (Modern Language Assoc.)
進化経済学会. 進化経済学ハンドブック : Handbook of Evolutionary Economics. Vol. 初版, 共立出版, 2006.

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進化経済学会. (2006). 進化経済学ハンドブック : Handbook of evolutionary economics: Vol. 初版. 共立出版.



 

金融とITのアメリカは「グローバル・スタンダード」の名の下,自国型の制度・システムへの世界各国の収斂を要請し,またそれが不可避であると宣伝する.はたして世界(さしあたりOECD諸国)は,アメリカ型資本主義に収斂しているのか.そしてそれは歴史の必然なのか.1990年代,こうした収斂論への批判はレギュラシオン理論の外でも多彩に繰りひろげられた.M.アルベール『資本主義対資本主義』(1991)に見るネオ・アメリカ型とライン型,P.ホール/D.ソスキスのLMEs(自由な市場経済)とCMEs(コーディネートされた市場経済),比較制度分析(青木昌彦)でのA企業とJ企業の対比などがその代表である.最後のものは日米対比,最初の二つは独米対比が中心をなす.しかし,いわゆるOECD諸国に限ったところで,各国を2類型に分類して事足りるのだろうか.何らか先験的な分類基準でなく,経済の基軸領域と主要領域を包括するような類型化は不可能なのか.しかも理論的分類のみならず,統計資料に基づく実証を踏まえた分類が必要である.近年のレギュラシオン理論はこうした観点から,「資本主義の多様性」論(比較経済システム論)を精力的に展開してきた.その最高の成果がアマーブルの『五つの資本主義』である.ここにおいてアマーブルは,製品市場競争,賃労働関係,金融システム,社会保障,教育システムの5領域にわたるOECD資料の分析のなかから,5類型の資本主義を抽出した.すなわち「市場ベース型」(米英加豪),「アジア型」(日韓),「大陸欧州型」(独仏蘭墺ほか),「社会民主主義型」(北欧諸国),「地中海型」(伊西葡希)である.それによって通念の再検討が促される.すなわち,(1)アングロサクソン諸国は「自由な市場経済」(LMEs)としてまとまっているが,その他諸国を「コーディネートされた市場経済」(CMEs)として一括するには無理がある.(2)市場の自由化という点でアメリカ型の対極をなすのは,ドイツでも日本でもなく地中海型諸国(規制的市場)である.(3)福祉国家という点で北欧諸国の対極をなすのは,アメリカ型ではなくアジア型である.最終的にアマーブルは,(1)高い経済パフォーマンスをもたらすのは,市場ベース型のみならずその他の型でも可能なこと,(2)1990年代の最初と最後の時点で諸類型を比較検証してみるとき,市場ベース型への収斂どころか,類型の多様化が見られることを摘出する.つまりはアメリカ型への収斂は確認されないし,アメリカ型のみが「優秀」なわけでないのである.フォーディズム分析から出発して30年,レギュラシオン理論は現在,こうした多様性論からするグローバリズム批判へと進化を遂げつつある

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進化経済学会. 進化経済学ハンドブック : Handbook of Evolutionary Economics. Vol. 初版, 共立出版, 2006.

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進化経済学会. (2006). 進化経済学ハンドブック : Handbook of evolutionary economics: Vol. 初版. 共立出版.


 

レギュラシオン論からすれば今回のコロナ危機は大危機にあたる、これはシュンペーターのいうようなコンドラチェフ循環の谷に近い。

この場合、従来の蓄積体制、調整様式の限界が訪れたともとらえられる。

 

したがって大危機とともに発展様式は進化していくのであり、これが資本主義の歴史を形成する。

 

 

従来のオフィス産業はテレワークへと移行し、人との接触は避けられるようになる。これは機械化(IT化)の流れを作り出している。電子マネーもメリットの一つに感染症対策があるわけである。無人レジなども増えるかもしれない。

 

 

個人的見解だが、テレワーク推進についていうことはないが、しかしテレワークというのは基本的に生産性が下がる。

 

https://digitalcommons.ilr.cornell.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1087&context=chrr

 

こういう論文もある。

 

テレワークを進めてたIBM社も撤退したりと、、、

 

GAFAなどはオフィス充実に力を入れてきたりとした背景がある。

 

アメリカではすでに縮小!?海外と日本のテレワーク事情 | たむらしごと。 ~ 福島県田村地域の働き方情報サイト ~

 

 テレワーク先進国であるアメリカでは、近年「テレワーク廃止」の動きが拡大しています。
1990年代からテレワークを導入してきたIBMも2017年5月に同勤務形態の廃止を宣言。その他アメリカを代表するグーグルやアップルなどの大手企業もテレワーク導入には積極的ではないというから驚きです。
この傾向の理由としてとして挙げられるのが、テレワークによる「コミュニケーション・チームワークの不足」
アメリカ人の気質とテレワークの相性は悪くなく、生産性も上がっていた一方で、コミュニケーション不足による社員同士の刺激を受け合いや協力体制を築く機会が減ってしまったという現実も。この事態を深刻に捉えた結果が、現在のアメリカの「テレワーク縮小の動き」につながっています。

 

コミュニケーション問題は、テレビ通話だけでは解決できない部分もあるだろう。

 

ヨーロッパなども労働者の交渉力が高いからなのか労働時間短縮などオフィスワークに力をいれてる次第

 

とはいえ、日本の東京というレアケースで考えた場合、満員列車の解消などプラスの面も大きいだろう。しかしそれはあくまでレアケースと考えるべきである。

 

新しい生活様式という言葉が嫌いなのは、その生活様式はコロナのことしか考えていないからだ。

コロナとは不確実性の一角に過ぎない。社会の持つ不安定性には対応できないはおろか、より脆弱なものなりうる恐れがある。

 

いや、そんなことをいえばこの国は数十年にわたりその基盤を壊してきたわけだが。

 

 

 

 

 

 

 

幸福に生きよ!

 

人はなぜ生きるのだろうかという問いはナンセンスである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」

 

 

世界は成立している事柄の総体である。

 

世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。

 

世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって規定されている。

 

なぜなら、事実の総体は、何が成立しているのかを規定すると同時に、何が成立していないのかをも規定するからである。

 

論理空間の中にある諸事実、それが世界である。

 

 

 

 

 

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。

 

論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。

 

思考しえぬことをわれわれは思考することはできない。それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない。

 

 

永遠の相のもとに世界を捉えるとは世界を全体として限界づけられた全体としてとらえる事にほかならない。

 

答えが言い表しえないならば、問いを言い表すこともできない。

 

謎は存在しない

 

問いが建てられうるのならば、答えもまた与えられうる。

 

問いと答えが成り立つのは語られうるところでしかない。

 

可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてのこるだろう。

 

生の問題の解決をひとは問題の消滅によって気づく。

 

意志が世界を変化させるとき、変わるのは世界の限界であり事実ではない。

 

死は人生の出来事ではない。ひとは死を体験しない。

 

時間と空間のうちにある生の謎の解決は、時間と空間の外にある。

 

 

言語と現実はもはや分離した二つの実体としてみなすことはできない。言語は現実の中にあるし、現実それ自体は言語を通して初めて理解される。

 

言葉はもはや外部の「現実」を映し出すただの忠実な「鏡」ではない。

そこで紡がれる言葉そのものが一つの世界を織りなし、「現実」を変えていく力をもちうる。

 

 

 

世界は事実の総体であり、対象の組み合わせたる事実はさまざまに変化しうるが、そうした諸可能性の礎石たる対象は変化しない。ここに、世界は「永遠の相のもとに」姿を現す。

世界の可能性の礎石である対象は私の経験の範囲にある。ここから世界は「私の世界」として現れる。

 

私の世界は「生きる意志」に満たされねばならない。

事実を経験し、そこからさまざまな思考へと飛躍してくだけではなく、その世界を積極的に引きうけていこうとする、その意志である。

 

どのような世界であれ、生きる意志に満たされうる。

 

そしてどのような世界であれ生きる意志を失いうる。

 

前者が幸福な生であり、後者が不幸な生である。

 

幸福に生きよ!、ということより以上は語りえない。

 

書評 努力2.0

 

「ときど」というプロゲーマーを知っているだろうか?

 

ストリートファイターという格闘ゲームで世界一になったプロだ。

 

 

2013年頃から勝てなくったらしい。当時のときどの勝つ仕組みは

  • 人に先んじてゲームの要点を捉えそれにあった「簡単で強い行動」を型道理繰り返す
  • 常にそのゲームの「最新情報」を手に入れ、独占する
  • リスクを排除することで「負けない戦い方」に徹する

勝てたポイントは「誰よりも早く正解を見つけた」ことにありました

 

しかし、インターネット環境とプレイヤー人口の増加によって「先行者利益」を寡占できなくなった、試験でいえばわかりやすい答えは既にみんなに知られわたっている状況。

 

本人曰く「勝ちにこだわりすぎていた」模様。

 

勝ちにこだわる。一人でやる。がむしゃらにやる。

これらはいわば「努力1.0」

 

これに対して「努力2.0」は変化に対応できる方法論

 

努力1.0では変化に激しい世界では対応できない。

 

 

6つの法則

 

努力2.0には六つの法則がある

  1. 「反復の法則」負けの中に答えがある
  2. 「環境の法則」ライバルは敵ではない
  3. 「メンタルの法則」心に負荷をかけない
  4. 「継続の法則」頑張りはいらない
  5. 「Whyの法則」嫌なことはやらない
  6. 「地力の法則」自分史上最強になる

 

 

反復の法則

 

計画にはこだわらない。変化のスピードについていけないため。

とにかくやってみる。

正解はないので常に「仮説」と「検証」を繰り返す。

 

インプット、アウトプット、フィードバックを繰り返す。

 

重要なのはこのサイクルを早くまわすこと

 

 

失敗は今自分が進んでいる方向が正しいか間違っているか教えてくれるので喜ぶべきこと。

「正解がない」「変化が速い」環境では負けや失敗は僕らの味方になってくれる。

負け筋のほうが分析しやすい。

負けは情報の宝庫。今の自分に必要なものを教えてくれる。

「今日の正解はきょうだけのもの」

 

本番は本番に慣れる練習

 

 

環境の法則

 

一人で努力するよりも皆で努力する環境にいたほうが強い

 

秘密主義は膨大なインプットが必要、オープン主義になり情報を共有したほうがいい。

スランプを回避できる。

相手の何気ない感想が新しい発見のきっかけになる。

 

居心地のいい環境だと成長しない。

少し背伸びした環境を選ぶ。

平均点を目指し80点手前で次のレベルの環境に行く。

 

 

教えることで自分が理解しているか検証する。

 

失敗した原因を二つに分ける

  • そもそもの理解が不足している
  • 理解したことを表現できてない

 

教えることで現状の理解が試される。

現状の理解が応用の土台になる。

 

言語化」が重要

 

言語化は他人の分析にもつながる

 

相手の行動を言語化し、検証することでただの感想で終わらせたことが自分の糧になる。

 

メンタルの法則

 

心のエネルギーは無限ではない。有限のリソース

大切に使用するために無理はしない。

 

自分が無理してないかモニターする。

ときどは毎朝、自分の通信簿をつけているらしい。

 

睡眠時間、食事の回数、カフェイン量、脈拍など。

 

調子が悪い時それを見返せば原因がわかる。記録していたから。

 

基本とは考えなくても普通にできること

 

強くなりたい、勝ちたいのなら基本を120%にしてからいく。

 

前の話の平均点取ったら次に行くというのは環境の話であり、今回は個別の技の話。

 

 

継続の法則

 

あらゆる行動をルーティン化させる。

努力を継続するときに重要なことはいかに意志力を使わないか。

日常は決断の連続。

 

自分が動くのではなく、仕組みに動かされるようにする。

 

固定できるものは固定する。

 

ルーティンを設定するときに重要なポイント

 

  1. 一日の中に酒類の違う行動を入れておくこと
  2. ルーティンに縛られないこと
  3. 一番大事なポイントはきっちり抑える

 

自分を変えるな、環境を変えろ。

 

部屋にはベッドしか置かない

 

他はアウトソーシング

 

一点集中主義で行く

 

 

ハイマンミンスキーの金融不安定仮説 By 金融恐慌

時期が時期なので金融恐慌論に取り掛かる。

 

この本を図書館で借りてから返済期限がとっくに過ぎているので駆け足でw

 

本書で採用された研究方法は問われるべき主題の性質から、制度的かつ動学的そして歴史的方法である。なぜ制度的方法であるかといえば、戦後経済における特定の制度ーーーとりわけ銀行貸付に対する制度的な制約ーーーが、金融恐慌の展開に重要な影響を与えるからであった。また、動学的であるのは、不確実性、心理的反応、金融市場の混乱を含む金融恐慌の諸事情は静学的な枠組みでは理解できないからであった。最後に、歴史的な方法がとられるのは、金融恐慌が内生的変化と永続的な不均衡の過程、すなわち歴史的時間において絶え間なく発散する諸事情の進展に依存しているからであった、ジョーンロビンソンの言葉を借りれば、

「経済は時間の中に存在しており、歴史は不可逆的な過去から未知の未来へと一方向的に進行するのだということを一旦認めてしまえば、空間をあちこちと動く振り子の機械的類推に基づく均衡概念は支持できなくなる、伝統的経済学全体が新たに再考されなければならない」

 

ハイマン・P・ミンスキーの金融恐慌理論

ミンスキーの理論はケインズの著作の再解釈に基づいている。ミンスキーはケインズの標準的解釈である新古典派総合はケインズ理論を歪めていると主張する。

この歪みは三つの主題、すなわち不確実性、景気循環、および金融を無視していることを起因している。

これらを接合する鍵となるのは彼の投資理論である。

 

主として投資を決定するのは金融諸変数であり、経済の全般的な状態を決定するのは投資の水準と変化である。さらに、金融諸変数は、急変化にさらされ将来の見通しに強く影響を受ける。かくして、投資決定はかなり不確実性にさらされている。

しかしながら、ミンスキーの「金融不安定仮説」は、目まぐるしく変わる将来の見通しが生み出す、手に負えない不規則な動きを前提してはいない、むしろ、彼の理論は景気循環の各段階をもたらす内生的かつ系統的な変化と関係している。

「どの段階の経済状態も、それがブームであれ、恐慌であれ、負債デフレであれ景気停滞であれ、あるいは景気拡大であれ、一時的なものである。・・・安定性に近づくような状態が実現されると、直ちに安定性を破壊する過程も始まるのである」とりわけ、ミンスキーは景気循環の好況局面で起こる系統的な変化に関心を持っている。彼の見解では、景気拡大は必然的な不安定であり、それを投機的な投資ブームに転換する過程が発展する。

ミンスキーは、金融恐慌の諸条件が投資ブームの間に発展するのを見いだした。実際、彼の理論構造全体の主たる強調点は、これらの諸条件が整えられる内生的過程を説明することに置かれている。ミンスキーは、これを体系的な脆弱性の理論と呼んでいる。

 

金融脆弱性は金融システムに内在する特質である。脆弱な金融システムにおいて、ありふれた事件によっても、継続的な正常な動きが中断されることがある。体系的な脆弱性とは、脆弱な金融構造の発展がわれわれの経済の正常な機能に起因するということを意味する。

 

ミンスキーによれば、金融システムの脆弱性を決定する三つの要因がある。

第一の要因は、ミンスキーがヘッジ金融、投機的金融、ポンツィ金融とそれぞれ呼ぶ金融の相対的な比重である。他の二つの要因は、システムにおける流動性の程度および投資資金を調達する際に負債に依存する度合いである。

ヘッジ金融、投機的金融、およびポンツィ金融という特徴付けは、財務上の困難への陥りやすさに応じて経済主体を分類するミンスキー流のやり方である、分類方法は、正常な活動の結果もたらされる現金受け取りと負債によって発生する現金支払義務の間の関係に基づいている。

ヘッジ金融に従事する経済主体の場合は、これらの現金受け取り額が現金支払額をかなり上回ることが予想されている。それに対して、投機的金融に従事する経済主体は、ある時期ーーー通常はごく近い将来ーーーに現金受け取り額が現金支払額を下回ることを予想する。典型的には、投機的経済主体が、再び資金調達できると期待しながらも、間も無く満期になるかなりの額にのぼる短期負債を抱えているためにこの不足が発生する。ポンツィ金融に従事する経済主体は、その現金受け取り額から金利負担額さえ支払えないと予想されるある種の投機的経済主体である。

かくして、ポンツィ金融に従事する経済主体は、その金利コストを支払うために絶えず借入を増加させなければならない。

負債の利用が利潤を増加させることを指摘している。負債を利用することによって収益性が高まれば、さらに多くの負債が利用されるようになり、投資が拡張されることになる。

信頼の高まりはまた、証券市場にプラスの影響を及ぼす。それはまた、資産のうちの大きな割合を現金で保有し続ける必要性を減少させる。こうして、流動性が低下する。

ミンスキーによれば、短期負債の利用を促す重要な誘因も存在する。もし、金利曲線が右上がりならば(すなわち短期金利長期金利より低いならば)、短期借入の方が有利になる、経済が拡大し信頼が高まりつつあるならば、ほとんどの企業は借換について何の困難も予期しない。ミンスキーは、多くの経済主体にとって短期負債に基づく資金調達が「生き方」になることを観察している。したがって、

 

経済が好調な時期には企業の財務構造に占める短期負債の割合は上昇し、ポートフォリオに占める現金の比率は低下する。このように、経済が好調な時期には財務構造を異にする経済主体の経済全体に占める構成比率が変化し、投機的金融やポンツィ金融の比重が高まるようになる。

 

このようなわけで、経済拡張が続くと金融脆弱性が深まっている。

ミンスキーは、経済が金融脆弱性のもとにあるならば、金利上昇が金融恐慌をもたらすと主張する。非弾力的な借入需要が完全には弾力的でない供給に対して増大するので、金利は上昇する。資金の需要と供給を順に考察してみよう。

投機的金融とポンツィ金融の性質は、経済主体が支払を履行するために絶えず負債を借り換えることにある。それゆえ、「投機的金融や特にポンツィ金融のもとでは、金利非弾力的な借入需要が増加する」

 

借入需要を非弾力的にする第二の原因は、投資資金の調達の性質に起因している。ミンスキーによれば、2つの異なった投資資金の調達方法がある。

必要な資金を投資計画の開始時に調達すること(事前の資金調達)もできれば、投資計画の進行とともに調達すること(継続的資金調達)もできる。彼は、通常より多く行われるのは継続的資金調達の方であると論じている。この資金調達方法が資金需要をより非弾力的なものにする。こうして非弾力的な資金供給は金利を急騰させることになる。

 

なぜ資金供給が非弾力的なものだろうか。景気拡張の初期の段階では、アメリカの銀行は貸付能力を拡張できる方法を持っており、資金供給は相対的に弾力的に拡大する。

ミンスキーによれば、銀行は(要求払い預金の代わりに)定期預金や与信枠を使用し、またフェデラル・ファンド市場から借り入れることより、貨幣量を事実上増加させることができる。

ミンスキーが指摘しているように、もちろん中央銀行による金融引き締め政策がこの過程を一層困難なものにする。しかし、彼は、連邦準備が金融引き締め政策を行わないとしても金利は上昇するであろうと論じている。なぜなら、「貸し手と借り手が投資資金調達の新しい方法を探し求めるにつれて、借り手は限界的に、流動性をより強く求める資金源泉に依存するようになる・・・つまり、借入条件がそれだけ厳しくなるだろう」からである。また、「短期金利の急騰は長期金利の上昇をもたらす」。

 

金利の上昇は次の点で重要である。すなわち、「脆弱な金融構造の下では好況期における金利上昇のフィードバック効果が。。。金融の逼迫および崩壊をもたらし、それは次に累積的な負債デフレーションのきっかけとなる」からである。

今や、金利上昇が金融恐慌を発生させる過程を追求する作業が残されている。

 

ミンスキーによれば、金利上昇は三つの帰結をもたらす。すなわち、現金支払額が現金受け取り額に比して上昇する、資産の市場価値が負債に比して下落する(ただし、資産は負債よりも長期の契約であると仮定する)、資金の貸し手は(最初の二つの帰結のために)貸付を制限する決定を下すということである。

ミンスキーはまた、資金の貸し手の態度は比較的突然に変化すると指摘している。

 

 換言すれば、「なぜ金融不安定性が発生するのかを説明するにあたり決定的となる要素は市場で決定されたキャッシュ・フローあるいは資産価値によっては履行することができない負債構造の歴史的時間を通じての発展である」

この問題の根源が脆弱な金融構造に対する金利上昇の効果にあると、ミンスキーが考えていたことを指摘しておくことは重要である。彼は、利潤率自体が低下することについて言及していない。実際、ミンスキーは企業利潤自体の動きを分析していない。彼は、準地代と呼ばれる利潤のより広い定義を好んで使用している。

 

彼は税引き前粗利潤を企業夫妻に対して支払われる金利に加えることにより、準地代の概念に到達する。準地代は粗資本所得の尺度であり、生み出された収入によって負債返済を賄うことができる企業の能力の指標である。

ミンスキーの体系において準地代が負債構造を十分に払えきれなくなるのは、(必ずしも)利潤が減少するのでも、準地代が減少するためでもない。それは、準地代が安定した率で増大するのに負債負担は加速的に増加するためなのである。

 

ブーム期には負債は加速的に増大する。・・・かくして、負債が増加するに従って、金利は上昇しなければならないし、資金調達コストも上昇する。こうした状況のもとでは、究極的には実質タームでみて定常的な率でしか増加しない準地代の実現額は、負債の利払いに要する源泉としては不足する。

 

ミンスキーは現金支払額が現金受取額に比して増加する結果起こる事態について二つの主要なシナリオを考えている。すなわち、資産の市場価値が負債額に比して下落する場合と、受け入れ可能な負債構造が再評価される場合である。

 

第一のシナリオの場合には、金利の上昇が投資の低下を招く、このことは、二つの理由によって生じる。第一の理由は、「経済主体のいくつかが金融脆弱性を露呈すると銀行家や企業が進んで負債を発行して資金を調達しようとする意欲は減退する」ということである。

リスクの高まりが感知されると(それが資金の借り手のものであろうと貸し手のものであろうと)、企業は投資のために使用したレバレッジ自己資本に対する外部資本の比率)を低下させようとし、銀行は投資支出の資金を融資し続けることを拒否する。

 

第二の理由は、投資計画がますます収益性の上がらないものになりはじめ投資が減少する、というものである。ミンスキーの理論における投資需要は投資計画から期待される将来収益(準地代)を資本化した現在価値に基づいているので、金利が上昇するとある種の投資計画は支えられなくなる。

投資の落ち込みは、次に準地代の下落をもたらす。ミンスキーはここで、準地代(ここではミンスキーをそれを利潤と呼んでいるが)を投資水準に一致させるミハイル・カレツキによって発展させられた分析に言及する。

行動仮説が与えられればこの方程式は事後的な恒等式になることをミンスキーは認識している。しかし彼は、因果関係は投資から利潤の方向へ向かうと主張する。「カレツキの簡潔な関係式は利潤が投資によって決定されるという意味に解釈できる」。

そこで、利潤の減少は負債構造から生じる諸困難をさらに悪化させ、継続的な借換を見込みのないものにする。そして、現金を手に入れるために資産の投げ売りを余儀なくさせ、資産価格の急落をもたらす。ミンスキーは金融恐慌をこれらの最後の二つの事態の発展と同一視している。

ミンスキーは、金融脆弱性は非金融企業に限定されないと指摘している。

これらの企業の窮迫はこれらの企業の貸付を行なっている銀行やその他の金融機関に影響を及ぼす。投機的金融やポンツィ金融に従事する経済主体が負債を返済するための資金を借換ることができないとき、銀行の財務状態は悪化する。

ミンスキーの第二のシナリオでは、脆弱な金融構造の下における金利の上昇がまず金融恐慌をもたらし、次にそれが投資を減少させる原因になる。

 

資金の借り手が市場条件に応ずることができなくなるか・・・またはあてにしていた市場が正常に機能しなくなるために負債の「通常の」発行ができなくなったとき、資金調達の危機に関する典型的な諸問題が発生する。これが起こると、資産を売却しなければならなくなるか、または、資金の借り手は、「取付け」騒ぎのなかで資金を回収しようとする貸し手に対して返済義務を履行できなくなる。どんな重要な市場における借り手そのような失敗も、受け入れ可能な負債構造と収入見込みに関するより懐疑的な見方が信用市場全体を支配し始めることを意味している。・・・そのような人々の選考の変化は、・・・負債による資金調達の条件を・・・より厳しいものにする。このことが在庫品の見切り販売や投資の削減をもたらし、経済を景気後退、不況へと追いやるのである。

 

ミンスキーはこの第二のシナリオをそれほど強調している訳ではない。しかし、金融恐慌と投資の減退(そしてその結果生ずる景気後退不況)の間の正確な因果的連鎖がどのようなものであれ、それらのうちのいずれも起こり、金融恐慌が不可欠な要素をなすことをミンスキーははっきり認めている。「1996年の信用逼迫とともに金融脆弱性が出現して以来、景気循環の経験は、景気後退が金融市場のある重要な部分の崩壊の脅威をきっかけにして起こるか、またはそれをもたらすことを示している。金融の逼迫がなければ景気後退は起こらない」

 

ミンスキーによれば我々の経済は厳しい金融恐慌によって生じる負債デフレーションの相互作用に弱く、深刻な不況をもたらす。この負債デフレーション過程は、アーヴィング・フィッシャーによって述べられていた。しかし、1966年以降の最近のアメリカの経験によれば、厳しい金融恐慌と深刻な不況は回避されてきた。

ミンスキーはこの成功を二つの要因に帰している。

 

  1. ある金融市場において発生した困難が他の市場に波及することを防ぐ連邦準備制度理事会による最後の貸し手としての介入。
  2. 企業利潤を支える連邦政府財政赤字の増加である。

 

 

ここでMMTのストック&フローコンシステントアプローチへと落としこまれる。

 

書評 信用恐慌の謎 

最近、自分は金融不安定性に注目している。暴落、恐慌、それらはなぜ起こるのか、どうしたらいいのか。

暴落は周期的に発生している。

1987年ブラックマンデー

1997年アジア通貨危機

2008年リーマンショック

 

ほぼ10年おきだ。

 

2017年にはこれらと並ぶ恐慌は起きていない、今はコロナショックなど言われているがこれも信用の崩壊ではないし並ぶものではない。

 

今は2020年、リーマンショックの後、エコノミストの理論は崩壊し世界的に金融規制が強くなり、バーゼル条約などね、しかしこのサイクルは終わったとみなされるのか?

次いつ来るのか、必然的に来るそれについて資本主義社会で生きる上で学んでおいて損はないだろう。

 

 

www.odamakidan.com

 

 

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最初の章からジョンロー、アダムスミスの話が出てくる。

ここらは完全に歴史の授業でしかない。

アダムスミスは「自然に任せておけば、経済には自己矯正する力がある」と信じた。

今のマスク転売屋やトイレットペーパー転売を見ればそんなことはないだろうと思うのだが。

 

アダムスミスの大望に、「共感」という概念がある。

 

全ての人間は他人に受け入れてもらいたい、彼らの「共感」を得たいという基本的な欲求を有している。共感を得ようとして人は自己利益から、他人から尊敬され、称賛されるように振る舞うように努めるだろう。良心は考えを行動に移す前にその考えを振るいにかけ他人の共感を呼ばない考えを排除する。そしてそれが自己利益の利己心に反映されるとスミスは考えたのだ。

 

性善説的なものを前提しなければ完全自由市場とは成り立たないのである。

 

しかし、資本主義、自由市場の核となるべき、この「共感」というものは昨今のSNS社会で大きな変化を作り出している。

 この辺の研究は別の記事でやろう。

 

さて、この本、たった今読み終わったのだが、ただの経済史の本だった。

というか経済学の一連の流れを表しているだけであり、

 

古典派の紹介、アダムスミス、セイ、リカード、フィッシャー

その後のケインズ革命

マネタリストの台頭

ゲーム理論

新古典派

ニューケインジアン

などなど

 

経済知識0でも読めるので入門書としていいかもしれない。

 

しかし、タイトルの邦訳に疑問。

元は「business cycle」という。直訳すると「景気循環」だがなぜか「信用恐慌の謎」になっている。

 

 

 

 

ミンスキーのビジネスサイクルモデル

ミンスキーのモデルでは、金融機関には三種類ある。一つは保守的な「ヘッジ」型出資者で、その活動は資本コストをまかなうだけの所得を生み出す。「投機」型出資者は資産価格の上昇分によって負債の元利返済を狙っており市場をさらに高騰させる。そして「ネズミ講出資者」たちは短期または長期で費用を賄えるが、こげつきをある程度隠し通してかなりの儲けを懐に入れられる。

ミンスキーによるビジネスサイクルの説明はこんな具合だ。サイクルの出発点は不景気で期待が沈滞しているところだ。回復の勢いが増すと事業収益が上がってバランスシートが回復する。しばらくはみんな、前の景気停滞の記憶があるので慎重だ。でも経済成長が続き技術的なブレークスルーでそれに拍車がかかったりなんかすると利潤も増えて、将来の成長に対する期待も高まる。慎重さも失われる。ますますアニマルスピリットが掻き立てられ、銀行は融資を大盤振舞いして信用が拡大する。慎重な投資家ですら収益機会を見過ごしてはいけないとばかり、この上昇気流に参加する。この時点でバブル期が訪れる。ミンスキーが「多幸症経済」と呼んだものが勢いづく。これはレバレッジの高いネズミ講出資者を呼び込む。彼らは負債の返済に資産価格上昇をあてにしており彼らが参加することで市場はさらに押し上げられる。ますます市場は根本にある資産価格ではなく市場の気分や動きに基づく投機に支配される。

ネズミ講参加者も時々破綻するが成長期だとそうした破綻は単発的な出来事だと思われ、全体的な意味は持たないと思われる。だがバブル後期になると経済活動の相当部分は投機ファイナンスに支配されているので、ネズミ講業者の破綻は突然の気分転換をもたらしかねない。投資家たちは同じような腐敗が他にもあるのではと恐れるのだ。

すると一斉に融資を回収しようという動きが出るため腐敗はさらに増える。

これはネズミ講業者だけでなく、持続的な経済成長をあてにしていた、投機金融機関もそうだ。経済は突然クラッシュして不景気となり、慎重さと保守性への回帰が起こる。