三月生まれの生存戦略

Twitterで言えないこと書きます。3月生まれで苦しむ子羊たちの先導者になります。

イリヤが可愛すぎる件について

我々の治める税金はなぜドルやユーロでは払えないのか考えたことはあるのだろうか?

恐らくないだろう。しかし、なぜ円で限定しているか考えれば税金は財源ではないことがわかるのだ。

 

 

これはある例え話ですが紹介します。

ウォーレン モズラーの名刺

 

モズラー氏は子供が何人かいて一緒に家に住んでいる。

モズラー氏は子供達に家事をさせようと思い、名刺を作り家事をしたら名刺を何枚か渡すと約束した。しかし子供達は名刺だけでは働こうとしない。

そのためモズラー氏は名刺を月末に20枚渡さないと家から追い出すというルールを追加した。

そうなると子供たちも困るので家事をし名刺を受け取るようになる。また、働けない日などを見越して名刺を多く貯蓄したい。しかし、モズラー氏は月20枚しか名刺を発行しない。これでは名刺を貯蓄できないので月末20枚を15枚に減らすか、月に30枚発行するかの二つの方法を考えた。その両方をやったとしてモズラー氏は毎月マイナス15枚の負債として増加していくが、子供達は資産としてプラス15枚貯蓄されていく。

また子供同士でその名刺で取引したりするだろう。名刺を渡して代わりに皿洗いしといてなどの。

しかし、名刺が貯まりすぎると家事をしなくなったり、取引で使えなくなってしまうかもしれない。またせっかく貯めたカードをさらに増やしたいと考えるかもしれない。

これに対しモズラー氏は名刺を子供達から預かり利息を払うこととする。そして金利を支払う以上は新しい名刺を発行するのをやめる。

こうして資産を増やすことができ、また子供同士でも貸し借りが行われる場合の金利は親と同等かそれ以上である。

取引が頻繁に行われ需要が高まると金利が上昇していくので、金利を抑えるために名刺を発行する。

 

もしくはルールの枚数(15枚)を減らせば良い。

 

 

この話のモズラー氏は統合政府(政府と中央銀行

子供達は銀行である。

 

月末の家賃代の名刺は租税である。

預金は国債発行のことである。

 

この話で分かった通り租税(つまり家賃代の名刺)はモズラー氏にとっては経済的資源ではなく、名刺に価値を与えさせ流通性を生み出すための出発点であるのとただの回収でありサービスの対価などではないということだ。

 

そしてモズラー氏に預けることすなわち国債発行(銀行が国債を購入する場合)であるが、これは利子のつかない中央銀行勘定から利子のつく政府の勘定へと振り替えているだけに過ぎないということだ。

 

実際の日本政府のプロセスは

 

銀行が国債を購入すると銀行保有の日銀当座預金は政府の日銀当座預金に振り替えられる。

政府は公共事業の発注にあたり、企業に政府小切手で支払う。

企業は取引銀行に政府小切手を持ち込み、代金の取り立てを依頼。この時に銀行が企業の口座に記帳。そして日銀に代金の取り立てを依頼。

政府保有の日銀当座預金(一番目に振り替えあられたもの)が銀行保有の日銀当座預金勘定に振り替えられる。

銀行は戻ってきた日銀当座預金でまた国債を購入できる。

 

つまり民間預金で購入しているわけではないので民間預金の制約を受けません。すなわち政府は予算制約がありません。ただし供給量(インフレ率)による制約はあります。

 

どっかの政党が「奨学金をチャラにする」財源は?と聞かれた場合、国債で賄うという理論はあながち間違いではありません。そもそも予算制約がないわけで『財源』という言葉自体が不適切ですが。

 

また財政支出によって民間預金が生まれるわけです。

 

さっきの名刺の話でもそうですが、

よく国の借金とか言われる政府の負債はただの貨幣供給であり、その分民間資産が増えていくわけです。

 

貸し手がいるなら借り手がいるわけで、誰かの赤字は誰かの黒字なわけです。

 

そして銀行は貸し出しによって預金が生まれるわけで、預金を元手に貸し出しをするのではなく、貸し出しの際に口座に記帳をしここで預金が生まれるという信用創造なわけです。

 

まあ結局のところ何が言いたいのかというと、財政均衡ではなく経済の均衡が重要であり、そもそも政府の債務はその経済均衡のためにあるのであり経済が安定しているのであれば赤字だろうが問題ないという話と負債というものはそもそも経済成長していく中で増加していくのが当たり前でありその負債を減らそうとするというのは民間資産をなくし貨幣量を減らすという行為であること。

また年金2000万問題だが、1億人が一人2000万貯金するためには2000兆円の誰かの借金が必要なのですがデフレで民間の借金額が増えないので国が国債発行するしかないという、こういうことになるのですがどんだけこんな馬鹿げたことに騙されているのかと、年金問題は供給能力面の問題であり、その供給能力すなわち生産性の向上には投資が必要である。公共投資(インフラ整備。よくインフラはもう十分という意見があるが田舎を見てみろや)人材投資、設備投資、技術投資による生産性向上による供給能力増加が必要であるということである。政府の負債は将来世代の負担というがまるっきり違う政府の債務は将来への投資であるのだ。

 

補足 この辺のことは後で理論的に説明します