安倍が辞任した。それについて思うことは何もない。「お疲れ」や「今までありがとう」などの感情もない。そして、この先は希望だとかも思わない。
日本の問題の本質は構造的諸問題であって誰が首相であろうと変化はない。その値に合わさったランダムウォークが発生するだけであって根源的なものは変わらないからだ。
安倍がやめて1つ希望があるとするなら、妄想批判と妄想擁護の2つが消え去ることだ。
本当に消えるかどうかは確かではない。安倍だったら〇〇だったのに!のような妄想はまだ残留するかもしれない。
どちらにせよ、ネットのキモイ政治豚どもの餌が消えて俺は嬉しい。
俺は基本、左翼と右翼という言葉は使わない。空集合でしかないからだ。大半の奴らはその代表的な論者の代弁者に過ぎない。だから、俺が政治に批評するなら必ずその論者を挙げる。そうしないと自分の妄想の集団に対して妄想の意見を纏めて妄想で判断するだけでしかないからだ。
故に、「語り得るものはおよそ明瞭に、そして語り得ないものについては人は沈黙しなければならない」
追記
まじめに政治について語りたいのであれば、歴史(日本史ならば、開港時の幕末からでもよい)政治学(君主論、戦争論)地政学、経済学(経済思想だけでよい)倫理学、心理学(大衆心理)、組織論(ドラッカー、テイラー)、制度、法、その他(統計知識)についての基礎知識くらいは必要だろう。
別にこれらの知識がないものは語るなといいたいわけではない。
これらの知識を得ると語れなくなってしまうから読めといっているだけだえある。
視座が広くなると断言できるものが少なくなる。自分の考えは本当に良いものか疑問が浮かんでくる。そうした場合、人は語れなくなる。ゆえに、「頭の悪い人しか政治の話(( ´∀` ))はしません」となる
だからと言いても「政治の話をしない人は賢い人」とはならない。逆はない。政治の話が知識不足、自己肯定感不足で話すことが ”できない” 人間でしかない。もっと頭の悪い人間だ。
政治思想はエリート共の気を紛らわせるものでしかない