三月生まれの生存戦略

Twitterで言えないこと書きます。3月生まれで苦しむ子羊たちの先導者になります。

これは誰? これは私、私は誰?、私は何?

エヴァとか呪術とかパスティーシュなものが流行っている。いや、だいぶ前からそうだったのかもしれない。別にジブリAKIRAだってバンドデシネの影響を受けているし。

ここで言いたいのはパクリだオマージュだパロディだリスペクトだトレースだトリビュートだインスパイアだのどれも定義が違うが意味は変わらん言葉遊びのことを言いたいのではなく、そもそも「オリジナル」なんて存在するのかということである。

 

オリジナルがオリジナルである確たる証拠など存在しない。良いと思ったシーン、アングル、レイアウト、構図なんて、過去からの無意識的な引用にすぎないのではないだろうか。

 

すべての情報は、共有し並列化した段階で単一性を喪失し、動機なき他者の無意識に、あるいは、動機ある他者の意思に内包化される。

 

ファッションすらも他者の模倣となる。

主体から一切のアプリオリな知識が奪い取られるような状況においては、他者を模倣することが唯一の合理的な戦略となるのである。

 

タピオカミルクティーが流行ったが、あれは他者の欲望の模倣である。ひとは行動すらも模倣する。タピオカは記号消費の最たる例に近いだろう。

 

 

いかにして情報を得るのかというのは人間の本性である。

 

 

すべての欲望が模倣というわけではない。

 

模倣が優勢となるのは、人が手に入れたいと思うものについて不確実性が支配するような状況においてである。

 

模倣衝動は「最終審」における合理性である。