三月生まれの生存戦略

Twitterで言えないこと書きます。3月生まれで苦しむ子羊たちの先導者になります。

父さん「潰れない安定した会社に行け」

 

 

 

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父さんに潰れない安定した会社に行けって言われたからバンドで食ってくことにした

 


だって音楽が鳴り止む日は永久にこないから

 

第一話

 

晩秋の候、俺は下北沢にあるBig sky Barというライブハウスでライブをする予定だった。バンド名は「謹慎ボーイズ」 名前の由来は、俺たち四人は高校の時に出会ったのだが在学中にドラムの象とベースの牛が原付を二人乗りしていたところを近所のババアに通報され謹慎、ギターの馬は売店で万引きし謹慎、ボーカルの俺は何もしてない、メンバーのほとんどが謹慎を食らっているから「謹慎ボーイズ」という名前になった。

ライブは順調にいったが、何分お客が少ないのであまり盛り上がらない。

俺含めメンバーも暗い表情で、作詞作曲も憂鬱で、若い頃の勢いはもう残っていない。

好きでバンドをやってるようではなく、義務作業かのようにやっているみたいだった。

こんな状況が2、3年続いている。

俺たちは全く売れなかった。

ライブ後の物販も大して売れず、Youtubeに曲を投稿しても良くて200再生。

古臭い2000年代初頭のロックなんて誰も聞かなくて当然か。

中学生はEDMしか聞かないし、ヤンキーはカーステレオが震えるような洋楽しか聞かない。

俺はこの小さな箱で腐り落ちていくのではないか、今日年からずっと考えている。

でも、この小さなライブハウスでお互い慰めあったバンド仲間が今年メジャーデビューした。そのバンド名は「オダマキンタマン」ボーカルのナオキンタマンとはここではよく音楽について語り合ったものだ。今じゃ俺はそいつの悪口をネットの海に放流していいねを稼ぐモンスターと化してしまったが。一体どこで差が。。。

楽屋では帰宅の準備をしながら、皆スマホに夢中だ。特に言葉を交わすこともなく、沈黙が続く。

11月11日はベースの日なのでベースの写真をTwitterに投稿しても3いいねしかつかなかった。オダマキンタマンの悪口は278487398いいねつくのに。。。

そんなくだらないことをしていると、

「じゃあ、今日は解散ということで」馬が口を開いた。

牛はその合図を聞くと立ち上がり、特に何も言わず出口へ進んでいった。

馬もすぐそれに続いて出ていった。

 

残った象が

「あ、俺ももうバイトの時間だから…」

 

「そ、それと、俺もう来れなくなるかも。。」

 

「店長にさ、し、社員にならないかって…いや…、まあ、まだ決まったわけじゃないけど、ただこれ以上もう続けるのもきついかなぁって…」

 

「ああ、そうだよな…」

おれにどうこういう権利はない。何も叶わなかったのだから。引き留めることは不幸だろうしな。

別に解散したってこいつらとの関係性までもが途切れるわけではないしな。俺は親父が昔言った言葉を思い出していた。

バンドマンだった親父はいつも俺に「潰れない安定した会社にいけ」と言ってきた。決して音楽の話は俺にしなかった。家族よりも音楽を愛した男が。でも今なら親父の言っていたことの真意の輪郭が掴めるくらいその意味が分かってきた…気がする。

ライブハウスを出てすぐに、オダマキンタマンのポスターを憧れのまなざしで眺めているガキがいた。一瞬殺してやろうかとも思ったが、もっと残酷なことをしてやろうと思った。

 

俺はそのガキに向かってこう言った

 

「潰れない安定した会社に行け」

 

と言おうとしたが声が止まってしまった。親父がどんな気持ちだったかわかってしまったからだ。立ち尽くす俺に気付かず、すでに走り去る少年の後ろ姿がかつての自分と重なり、恥ずかしくもなった。音楽とは受け継いでいくものだ。自分にはそれができなかった。でもあの少年なら受けついでくれるのかもしれない。そんな期待があった。それがたとえ千に一つ、万に一つ、いや那由他の彼方でも、俺には充分すぎるものだ。きっとあいつが繋いでくれるかもしれない。

全く知らないガキに希望が見えた俺は帰路とは別の方向へ進んでいった。

 

たしかに(誰かの)「音楽」が鳴り止む日がくることはない。でも、俺が好きな…、俺が愛していた「音楽」は鳴り止んでしまった。