私はこのMVを2024年における傑作であると評価します。
褒めてます。ふつうに。
素晴らしい点を一つずつ解説していきます。
まずMVの始まりは大海原に一つの民家がポツンとあるところから始まります。
開始一秒で鳥山明先生へのリスペクトが感じられます。素晴らしい。
そして歌詞の
いつか僕が眠りにつく日まで
この歌詞と共にミセスのメンバー三人が歴史上の人物のコスプレをした格好でその民家に入ります。
どんな家なのか警戒した形で民家に侵入するのです。明らかな不法侵入です。
家の内装は文化的で驚く三人の姿。ここで三人がどの人物のコスプレをしているかがわかります。
バカでも知ってる歴史上の人物です。わかりやすくていいですね。
ただこの並びだとコロンブスだけ時代がズレているのが気になります。
ナポレオンが抜刀するのも個人的にポイント高いです。殺意が伝わってきます。
そして部屋のリビングにたどり着くと、カメラは引いていき猿人たちの姿が現れます。
そして曲名の「コロンブス」のポップ。どかんと真ん中に表示。
ここでわかるのが猿人たちの生活はコロンブスたちの時代よりもはるかに文明的に発展しているという点です。どっちが過去の人物かわからないということです。
次のシーンに移ります。
おそらく背景はアメリカ大陸?の西部劇に出てくるような荒野、アメリカ特有のただ広い道路の左車線をキックボードで走るコロンブスのコスプレをした日本人。わけがわからない場面です。
歌詞を見ましょう
気まぐれにちょっと
寄り道をした500万年前
寄り道をした500万年ということなのでタイムスリップしていることがわかります。
コロンブスというタイトルなのに500年前もよくわからないです。
ここで解釈できるとしたら人類の歴史そのものをテーマとして扱っていると見ることができます。
時代背景、文明、何もかもがバラバラなのは、意図的にあえてごちゃ混ぜにし個々のポイントにフォーカスさせるのではなく人類史として処理していると考えるのが妥当でしょう。
また500万年前は類人猿から分岐した特異点とも言えます。
その特異点にタイムスリップしてきた三人であるということになります。
ただ単純な500万ではなく、類人猿は我々現代に近い文明を持っています。
500万年前ではないということではないでしょうか。
では未来か。
ベートーヴェン、コロンブス、ナポレオン、(あとMVの途中でエジソン出てきますけど。)
彼らが500万年前に行く理由があるのか。歌詞に寄り道とあるので少し覗く程度だったのかもしれないが。
時代の流れを大きく変えた三人なら自分たちが変えた未来に向かうのが普通でしょう。
類人猿が出てくるせいで過去の歴史であるとミスリードされてしまいますが、おそらくあれは未来。
そして文明のレベルからして我々にとっては現代であると思われます。
これは現代の文明人への批判なのである。
我々の文化文明は虚飾されたものでしかない。猿がたしなむものでしかないのだ。
類人猿が食べてたものは高糖質、高脂質、高刺激なお菓子ばかり。
娯楽も映画を見る程度。映画というと響きはよく聞こえるが、映像作品をただ消費するのは現代人がショート動画を消費しているのと本質的に変わらない。
その証拠にMVで映画を見た三人だけが感動している。
猿共は感動していない。消費しているだけだからだ。
彼らの生活を正そうとする。
だから音楽の偉人は彼らに本物の音楽を教えようとする。
乗馬というものは貴族のたしなみであり、最上級の趣味だ。馬にまたがるのは人間にしかできない行為だ。猿を人間へと昇華させようとしているのだ。
そしてMVのラストは寝ている猿たちに別れの挨拶をせず三人がさるというものだ。
直前のシーンで流れ星が出てくる。
流れ星は死を意味する。
猿は死んだ。
救えなかったことに悲しむ三人。
潤んだ瞳の意味を生かすには
まず1個 宝箱を探すんだ