最近、自分は人間不信なのかもしれないと自分で勝手に思っている。いや「最近」どころの話ではない。何年も前から俺はそうだったのかもしれない。少なくともその前兆を感じたことはあった。
「他人を信じられない」というのが人間不信というものなわけだが、他人どころか俺は家族すらも信じられない。いや1番信じられないのは家族だろう。まだ顔も声も知らないインターネットの奴らの方が信じられるし自分の気持ちを吐き出せる気がする。今俺がこのブログに書き留めているように。
人を信じられないと人から距離を置こうとする。距離を置くに効率の良い手段は向こうから勝手に距離を置いてくれることだ。距離を置かれるような人間になること、つまり怪しげな宗教に依存したり、犯罪者になったり、基地外になったり、キモオタクになったりすれば良い。いや、キモオタクだとキモオタクが寄ってくるか…。
とにかく、道化師を演じれば人は離れていく。しかし、そんな狂人の演技をすることもできない。演じることができないのであれば、本性を曝け出せば良い。つまり「キモさ」を出すこと。これが1番効率の良い人間関係の築き方なのだろう。その人の本性のキモさを容認できる人しか周りにはいなくなる。これほど楽なことはないだろう。その「キモさ」というのが「個性」なのだろう。
自分を発揮するには他人を信じないことがスタート地点なのだ。
ある意味、個人主義の最果てである。