ジョネスは生まれつき鼻が悪かった。
嗅覚がほとんど無かったのだ。
中等部の頃、みんなが犬の糞を阿鼻叫喚で臭いと騒ぎ立てる中、どんな匂いか嗅ぐために鼻の先がつくほど接近して嗅いでしまい、みんなから笑われる羽目にあったこともある。
嗅覚がないため、コーヒーの深い味わいも楽しめない。しかし最初から機能がないのであれば、渇望することもない。臭いのない世界こそが彼にとっての普遍的な日常だった。
彼は今、特殊清掃員として働いている。自殺者の部屋の清掃をする仕事である。
自殺者は発見が遅ければ、死体は腐敗し悪臭が部屋中にこびり付く。マスク越しからも貫通する悪臭は常人では耐え難いものであった。
ジョネスはそんなこと気にしていなかった。ある意味では天職だったのかもしれない。
臭いのない世界の住民ジョネス、そんなある日、世界はひび割れ、ひびから匂いという異物が漏れ出す。
いつもの仕事先に向かう途中、その現場はマンションだった。
現場の15階にエレベーターで向かう。8階で止まり女性が入ってきた。
髪はピンクベージュのセミロング、年齢は20代後半、着まわしの白のカーディガン、ペリキュールのピンクチュールビスチェ、デニムパンツ。いや、外見などジョネスにとってはどうでもよかった。匂いだった。彼はようやく匂いに出会えたのだ。
彼は隈無くその匂いを探した。ようやく自分の鼻が嗅げる匂いを見つけたのだ。
しかし、そんな香水など存在しなかった。
彼が嗅いだ匂いはこの世に存在するものでは無かったのだ。
彼の頭の中、想像が生み出す産物としての空想の匂いだった。
けれど彼はその匂いなしでは生きられない、それまでの日常は瓦解した。
見つからない、いや、その匂いの持ち主がいるマンションは知っている。
数ヶ月後。
白と黒の灰の世界は極彩色豊かな世界へと変貌を遂げる。
彼の性的嗜好のために二十四人が犠牲になった。一人の犠牲者が出た後、彼の鼻はより繊細になっていき、様々な色と出会うことになった。自分に似合う色に出会うため繰り返す。
ジョネスの部屋には犠牲者たちの皮膚、髪の毛、繊維が大切に保管されていた。
死者から抽出された香水はジョネスが死んだ後にも、一部のマニアから高値で取引されている。
多くの殺人者たちは、殺人という行為によって、自分には感じられない自分の存在を実感する。
ボラス(1991)はそれを死せる者達同士の仲間意識と表現する。
殺人を犯すことで殺人者は万能で不滅の存在となり、殺人者とその被害者とは永遠に結び付けられる。